カテゴリ:季節の詩( 6 )

旅上

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旅上     萩原 朔太郎

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。
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若葉の季節は本当に美しい。
様々なみどりが、爽やかな5月の風に吹かれそよいでいる。
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by azuminoyh | 2010-05-25 12:10 | 季節の詩

風景

          山村 暮鳥
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     かすかなるむぎぶえ
     いちめんのなのはな


     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     ひばりのおしゃべり
     いちめんのなのはな


     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     いちめんのなのはな
     やめるはひるのつき
     いちめんのなのはな
          (詩集『聖三稜玻璃』から)

言葉によって喚起されるイメージは映像によるものより大きい。余分なものが映し出されない分、ストレートに意識が対象に向かい、インパクトが強くなるのであろう。
詩人は言葉を操る魔術師。一掴みの言葉で、現実の世界ではなかなかお目にかかれない風景を眼前に映し出してくれる。作者は技巧を凝らすことなく平易な言葉で春の風景を描いた。菜の花畑を目にするたびこの詩を思い浮かべる。またこの詩を読むと鮮やかな黄色の花々がそよ風に揺れているのどかな風景を想い起こす。
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我が家の畑では9月半ば過ぎ野沢菜の種をまく。本来は8月に播き11月末に成長した菜を収穫し漬け込む。これが信州名物の野沢菜漬なのだが、僕はこの漬物が嫌いなので、まだ育ってない葉をおひたしにして食べる。取り残した菜は当然冬枯れる。そして春再び芽を出し花をつける。この花がまるでアブラナとそっくりなのだ。「いつの間に菜の花の種をまいたの?」と妻に聞いてあきれられた。野沢菜の花だったのだ。妻に教えられあわてて百科事典をひもとくと、野沢菜はアブラナ科とあった。今更ながら納得。この季節にもせっせと収穫して食卓をにぎわしてくれている。
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by azuminoyh | 2009-04-22 23:24 | 季節の詩

 甃のうへ

               三好 達治
     あはれ花びらながれ
     をみなごに花びらながれ
     をみなごしめやかに語らひあゆみ
     うららかの跫音 空にながれ
     をりふしに瞳をあげて
     翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
     み寺の甍みどりにうるおひ
     廂々に
     風鐸のすがたしづかなれば
     ひとりなる
     わが身の影をあゆまする甃のうへ
                 (詩集『測量船』から)
学生の頃たびたび京都・奈良の古寺めぐりをした。この詩を読むとその頃の想い出が甦ってくる。竜安寺や金閣寺などのメジャーな寺は開門すぐに行くと静かに見て回れる。石庭を前にして座し、瞑想しているかのようなポーズをとってじっと眺め入ったりしたものだ。仏像はもちろん庭も、まるで美術品を鑑賞するような感覚で眺めていたような気がする。古寺は建物だけでなく全体の佇まいが、人をしっとりとした気持ちにさせる。しめやかに語らい歩むのは、歴史の重みと厚みが知らず知らずの内に心の中に入り込んでくるためなのだろう。
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by azuminoyh | 2009-04-19 21:13 | 季節の詩

楢の若葉

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楢の若葉

あれは
なんという木だろう
いまうまれたばかりのようなうすみどり
梢梢に揺れながら若葉は花のようだ
花のように美しい
「楢の若葉だよ」
友はこたえながら
「きみは何も知らないね」と笑った
ほんとうに私は何も知らない
木の名も
草の名も
それは私が町で育ったためだろう
そして草や木の美しさを知らなかったためだろう
私は知りたい
眼に沁みる 楢の若葉よ
世界はいつからこう美しかったろう
そうしてそれは何故だろう
    大木 實 「遠雷」所収

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by azuminoyh | 2008-05-22 16:23 | 季節の詩

連翹

桜が満開になった。安曇野をめぐるといたるところで、淡いピンクの花が目に入る。そしてもう一つ咲き誇っているのが鮮やかな黄色の連翹である。我が家の駐車場にも何本かあり、今は亡き父が植えてくれたものだ。
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連翹
連翹は三月咲く花
小さな可憐な花 黄いろい十字の花である
道のかたはら とある蘺のうへに
わたしの知らない花を見て
妻に花の名を訊ふた
妻は訝しげに連翹とこたへた
連翹は
むかしわたしのすきだったひとの
好きだった花である
その花の名を聴きながら その花を
わたしはけふまで知らずに過ごした
早春
花咲いて
花あれど実のらぬといふ連翹の花
さながらひとの身のやうに
それは妻の知らない さうして妻を知るまへの
わたしの秘かなできごとだが
   (大木 實 ”遠雷”所収)
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大木實は大正二年の生まれ、役所勤めをしながら詩作した。この詩は30歳頃の作品。平易な言葉で庶民の哀歓を歌った彼には、偉大なるマイナーポエットという尊称がふさわしい。心にしみじみ響く詩が沢山ある。また紹介します。
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by azuminoyh | 2008-04-18 10:23 | 季節の詩

春はもうすぐ

この時期になるときまって思い出す詩がある。佐藤春夫の”尋ね人新聞広告文案”と題する一行詩 
  こぞの   いま いずこ (春)
この短文を三行広告の体裁で黒枠で囲ってある。
野を覆い尽くしていた雪が少しずつ解け、日陰にぽつんぽつんと残っていた雪もいつしかなくなってしまう。長く厳しい冬が終わり、ようやく春を迎える喜びは雪国の人しかわからないと思う。春夫は南紀新宮の生まれなのに、さすが詩人の感性というべきか。冬を追いやった春の誇らしい気分が伝わってくる詩である。
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安曇野は雪国といえるほど沢山雪が降る地ではない。でもこの写真にある雪は、2月半ばに降った雪が消え残ったものと聞けば、冷え込みの程が知れると思う。今冬は一月半ば過ぎから雪が20cmほど断続的に降り消えることがなかった。あと一、二度降雪があるとしてもすぐ解け、厳しい冷え込みもない。待ち望む季節はもうまぢか。
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by azuminoyh | 2008-03-14 17:39 | 季節の詩